Play! Bike! Camp! バイクパッキング記録ブログ

40代子連れのおっさんが、バイクパッキングやポタリングする記録のブログ。

コロナのことやその周辺で感じること

コロナ禍が世界的に盛り上がる中、思ったことを少しまとめておく。状況は常に変わるので4月5日時点ということで。

ヨーロッパやアメリカでは、ロックダウンされて外出できなくなって、ローラーや筋トレや、その手の方法で室内でなんとか凌いでいる人が多い。自転車乗りはローラーがあるからまだマシな方なんだろうか。トレラン勢は、ロッククライマーは、もっとふつふつとしたまま過ごしているんだろうか。


なんにしても、生きているだけでラッキーなんだよなあ。今のところ無症状なまま拡散して身近な人で感染していないのでまだだれも殺していない。実際どうかは知らないけれど。

無自覚な拡散につながるライドと通勤

先週と今週、「不要不急な外出は控えて」と大阪府で指示されて、キャンプの予定もライドの予定も全部バラした。ここから先は、もう基本的に自分で判断して自分で決めればいいことだと思うけど、拡大解釈が多くなって「ここまでは大丈夫」と自分で線を引くことが本当に正しいことなんだろうかと思うし、僕は無自覚な感染源になりたくないのでなるべく家にいるようにしている。


「自粛要請は強制ではないから別に外出(ライド)してもいいじゃないか」とか「(大阪在住だけど)奈良や和歌山は自粛要請のレベルじゃないから乗りに行くのは大丈夫」とか「ウチの県はなんともないし大丈夫」とか、多分間違っているわけでもないしその辺は個人の常識と理解の範疇でどうにでもすればよいと思う。ただまあ「あいつ、それでもガンガン出かけてたよな」とは思うし、自分が乗れない(乗らない)ヒガミ半分で他人を攻撃したりだってする。自分はそんなに器が大きいわけじゃない。

学校の新学期は徐々に延期されようとしてるけど「ずっと家にいて感染拡大を避けてきたのに、遊びまくって保菌してるリスクのある奴と同席するのは嫌だから授業再開しないで欲しい」という意見もTwitterでみかけた。それは確かにそうだ。安心に対する意識の違いが知らずに悲劇に繋がることも十分ありうる。「完璧な対策」なんてものは多分ないのだ。だからこそ、一般人より健康やセキュリティに意識が高そうな芸能人やスポーツ選手が陽性で報道される。


志村けんの死にショックをうけるけど、ライドや外出は特に控えないってのもあれなんだと思うけどその辺はもうよくわからない。夜の街じゃないから、3密じゃないからライドは安全というロジックはとても脆い。「適度な運動が必要」とどう両立するかは難しいなあと思うし、小学生の子供二人が1ヶ月まるまる家にこもってゲームしてるのをみてるので(羨ましい)休みは可能な限り散歩したり運動の機会を設けたい気持ちがあって、自分もその折り合いの付け方がまだよく見定められない。

潜伏期間が長かったり、自覚できる発症がなかったり、単純にウイルスの媒介として自分は被害なく他人に広めているだけという可能性があることを思うとなるべく家にいるのがいいよなあってなる。


それでもなお、会社に行くことはやめられない。4月に入って「可能な限り在宅作業をするべし」とのお達しが出てようやく世間の流れから遅れてテレワークを始めることになるのだけれど、「不要不急に含まれない外出とは」にある「機密情報を扱う仕事」がまさに自分のそれで、受託の広告制作は9割方が企業の公開前情報だったりする(それを公開するための作業なので)ので、レベルの差はあれどセキュリティ的な観念で自宅作業でできる作業種類も限られる。個人情報何万件か入ったサーバ に家から接続するとか狂気の沙汰でしかない。

通勤は電車で、これも避けたいけど片道17kmの自転車通勤もそこそこ大変。週末のライドは避けて平日仕事でライドするのかという矛盾もやっぱり抱えている。Webサイトの運営は、企業や店舗のバックヤードの仕事の側面もあるので急な対応を迫られることもあるし、対策は練ってみても「家からだとサーバ繋げないので」とばかり言ってるわけにもいかなかったりする。

自分や家族が被害者にならないように。そしてそれ以上に、無自覚な加害者にならない様に、何ができるべきかということをちゃんと認識しないと、これがどこにどうつながるか誰もわからない。バタフライエフェクト。風が置けば桶屋が儲かる。ピタゴラスイッチ的な連鎖。


インターネットがどんどん辛くなる

政治、行政、ヘイト、デマ。幅広い意見がごそっと混ざるのがここ10年くらいのネットの面白さでもあり、それ故にネットはとても愛くるしく危険なのだけど、とにかくネットの居心地がどんどん悪くなる。こんな時こそペットの可愛い動画とかみて和みたいのだ。

東日本大震災の時は、圧倒的被害者と、特に生活に支障はない西日本の人間という構図があって「これは流石にネットにあげるのはやめておこう」みたいな判断ががあったように思うのだけど、それでも政府に対する罵詈雑言はやっぱり酷かった。今回は、みんなが等しく被害者(または被害者予備軍)になっていて、全員でくまなく政府の対応を監視している状態なのでこれもやっぱり息苦しい。

マスク2枚かよ!」「10万円ください」は、まあネタとして楽しむところまではネットらしいのだけど、それに対するヘイトや批判がどんどん溜まっていくのもしんどい。右とか左とか、どの政党を応援しているとかということではなくて、このグズグズした感じは選挙の時のネットの居心地の悪さにとてもよく似ている。まともな情報はほとんど流れてこず主体的に取りにいくしかなくて、それでも情報の海の中をかき分ける必要があって、大半は罵詈雑言の類で互いの陣営を罵り合うだけのやつ。議論も何もない。

選挙は2週間で終わるけど、今回はどこまで続くかわからないというのがとても辛い。基本的な考え方には賛同できるとか、ネタとして面白がっているとか、そういうのはいいんだけど「もうその話やめませんか」と思うことが多すぎてしんどくなることが多い。マスク2枚の話はもういいからさ。

現金支給ももらえるなら欲しいけど、サラリーマンの自分よりも、リスクを抱える個人商店の友人やショップが「安心して店を閉めて感染拡大リスクを抑えること」につながるようになればいいのにと思う。


アフターコロナの世界とローカルのあり方

何年後かにスコットランドグラベルライドしに行きたいと思っていて情報収集したりバイク組んだり少しずつ必要なものを揃えて行ったりしているけれど、果たしてコロナ禍が収まったあとの世界は半年前と同じ様な状況に戻っているのだろうか。

最近読んでたSF小説「天冥の標」では、症状が治癒した後も感染したままの状態で皮膚感染する「冥王斑ウイルス」が登場以来の世界の有様を完全に変えてしまう。人類のあり方、人との向き合い方、ウイルスチェックなどなど。 SFの、24世紀の話だからと片付けるのは簡単だけどあまりにも多くの示唆に富んでいて、現実のアフターコロナの世界でも海外に行く時の予防接種のようにコロナチェックを出発前後で受けなければいけないとか、フライトの前後数時間は空港から出られないとか、「21世紀初頭までは人は世界の地域を自由に旅行できていたらしいんだ」と言われる様な制限がなくなるとも言えない。

日本でコロナ禍が治ったところで、海外から来る「出発前には発症していなかった人」やクルーズ船停泊の影響でまた同じことが起こるなんてのも小説にも出てたけど十分考えられる。「アジア地域の人はこの国に入るには3日間空港で足止め」とかさ。差別ではなく区別として行われる対策。

検査方法や治療薬が確立してきたとしても、ウイルスが完全に駆除されるかというとそういうわけじゃない。


お金を貯めて海外に行こうという考え方自体が過去のものになって、結婚20周年でお金を貯めていいアームチェアを買おう、なんてことになったりするかもしれない。デンマークの家具も「アフターコロナの世界では輸入ができなくなったので、これは2019年に日本に入ってた希少なデンマーク製です」とかみたいになったりしてね。

家で過ごす時間にお金がかけられる様になってくるのはいいけれど、旅行や外食、地域を跨いだ通学やビジネスは制限がかけられるなんてことも現実的ではないとしても起こりうるんだろうな。


ローカルの店舗で金を使い、ローカルの人たちと距離を取りながら付き合う様になっていく。近所のビジネスにきちんとお金を使おうということを早い段階で表明していたシムワークスの態度はすごく賛同できるし、遠くの知らない街を訪ねることができるのは自転車の楽しみではあるけれど、ローカルを大切にすることはこれから加速していくんだろうな。世界の至る所で、家の中の時間やローカルビジネスを大事にしていこうという動きが広まるのは、とてもいいことだけど交流が減っていくのはとても寂しい。

sim-works.com

地元のパーツメーカーと呼ぶには大きすぎるシマノのコンポを使って、地元のフレームビルダーにバイクを組んでもらう。それを地元の道で乗って遊ぶ。ちょっと先取りしているバイクが来月くらいには組み上がるので楽しみだ。

もちろん自転車のパーツはいろんな国で製造、流通するのだけど、フレームとコンポが自分の街で用意できるのはなかなかないことだからな。コンポは日本製だけど堺で作ってるのではないけれど。

人との接触を避けてカフェに長居しないということと、ローカルのショップにお金を落とすことはどこまで相反せずに実現できるのだろうか。すべてがいつか丸く収まればよいけれど、多分そんなふうには行かなくてもっと長いスパンでコロナと付き合っていく、ということが必要になっていく気がするので、何にお金を使って何を大切にするのかということをいままでと違うスパンや視点で考えておく必要があるんだろうな。


とはいえまずは一通り嵐が去った様になって、いつも通りの毎日が帰ってくることを願いつつ。